ライフストーリーVol.2(仕事、親の介護、姉妹関係に悩み、さまよい続けた20~30代)

 

初めての青春、そして超就職難

 

猛勉強の末、東京の希望の大学に入ることができ、ひと安心。

友達に誘われ、大真面目にテニスをしている300人規模の巨大テニスサークルに入ってしまいました。「しまった!」と思い、何度もやめようと思いましたが、厳しい上下関係と練習が意外とツボにハマり、いつの間にか後輩を引き連れるリーダー的存在に。最終的には幹部を務めてしまうほど。明け方まで飲んで、また早朝からテニスをするという異常な生活は、初めて味わった青春でもありました。

サークルに熱中しすぎて、就活、完全に出遅れました。しかも時は、バブルがはじけた直後で超就職難。文学部で女子というだけでエントリーでふるい落とされます。150社ほど応募して、実際に説明会や面接に行けたのは60社ぐらい。子どもの頃、「将来は物書きになりたい」と漠然と思っていたので、出版社、広告も応募しましたが、すでに本気でマスコミ受験対策をしている人には叶うわけもなく、惨敗。「大学のサークルで幹部をやっていました」というのはなんのアピールにもなりませんでした。

就活疲れがピークに達した夏、最終的に拾ってくれたのが、当時勢いのあった人材派遣会社。容姿端麗な女子社員が9割を占めるその会社で、おそらくわたしが雇われた枠は、お笑い採用。案の定、秘書課、広報課、人事課などキレイどころが多い部署ではなく、泥臭い営業部に配属されました。

 

憧れの出版社に転職からの、リストラ

 

3年近く働いていると、「わたし、このままでいいのだろうか…」と疑問がもたげてきました(泥臭いのが嫌だったわけじゃありません)。

そういえば、「将来は物書きになりたかったんだ…」とふと思い出し、やっぱり「出版社に行きたい!」と居ても立っても居られなくなりました。なんの経験もツテもないので、まずは「編集の学校」に通ったり、知り合いのベンチャー企業でメルマガを書かせてもらったりと半年ほど修行。すると、ベンチャー企業の社長がとある雑誌の編集長と友達だったことから、突如「編集記者」の求人が舞い込み、アルバイト採用が決まったのです。

収入も待遇もかなりダウンしましたが、仕事へのやる気はアップ! 入ったその日からいきなり「取材に行ってこい!」と、ちょっとこわめの編集長にしごかれながら、数か月後には特集ページを任されるように。雇用形態もバイトから契約社員になり、ますます気合いが入ってきたのもつかの間、突然雑誌の廃刊が決まり、辞めざるを得ず。認めたくはないですが、いわゆるリストラでした。

そんな矢先、実家から父が末期がんに侵されたという連絡が入り、ちょうど仕事がなくなったわたしは地元の茨城に帰ることとなりました。

 

末期がんの父を看取った後、ライターの道が開ける

 

父は「病院に居たくない!」とわがまま言うので、在宅で療養することになりました。半年ほど、自宅で付きっきりで看病。なかなかヘビーな日々で精神的に参りましたが、最期まで見届けることができたのは、今思えば「天が与えてくれた時間」だったのだろうと思います。

父も居なくなってしまったし、「また東京で仕事を探そう!」とした矢先、知り合いから「うちの雑誌で書いてみませんか?」といきなり依頼が来ました(この数年は人生の展開が早い)。

ライターとして初めての仕事にビビりつつ、何度も何度も推敲を重ねて入稿。その仕事を起点に、次々と依頼が来るようになりました。それが今の仕事へとつながっていきます。

ライターとして様々な職種の人にインタビューをするなど経験を重ね、プライベートでは学生時代から付き合っていた彼と結婚。仕事もプライベートも順風満帆に思えましたが、30代半ばになると次第に雲行きが怪しくなってきました。

 

母の介護や姉の病気など様々な問題勃発。救いを求めてさまよう

 

以前、脳梗塞で倒れた母に認知症の症状が出たり、歩くのがままならなくなったりと介護が必要になってしまったんです。

さらには、母と同居していた姉が(姉は無事に結婚して2人の子育てをしていた)、体調が悪いとわたしのところに毎日メールが来るようになって……。しかも、姉と母はソリが合わず、その愚痴も乗っかってくる。わたしは度々実家に帰って介護や家のことなどサポートしてきましたが、次第にわたし自身の体調もおかしくなり。頭痛、めまい、動悸などなど不定愁訴の嵐が押し寄せてきました。

書く仕事もエネルギーがいりますから、どんどんつらくなりました。「わたしはそもそも、この仕事は向いていないのでは?」「本当は別の道があるんじゃないか?」などと頭をもたげるように。それからです、自己啓発本を読み漁ったり、ヒーリングやセミナーやスピリチュアルなセッションに行くようになったのは。

もう自分の力じゃこのどん底から抜け出せない。この現実をどうにも変えられない。

救いを求めて、いろいろあちこち頼りました。その結果、救われ、楽になった部分ももちろんありますが、頼り過ぎた結果、

〇かえって自分の考え・決断に自信が持てなくなる(自分軸がなく打たれ弱い、自分から行動する力が弱まる)

〇家族や友達からなんとなく怪しまれる(疎遠になってしまった友達も)

〇お金は出ていく一方(受講してばかりで生み出してないから)

失うもののなんと大きいことか……。だからこそキッパリと言えます。

自分の人生なのだから、自分の足で歩きましょうね(試行錯誤しながら積み上げましょうね)、と。

怪我をしたら治療が必要だけど、治ってきたら自分の足で立って歩かないといけません。それはメンタルも同じなのです。

でも、心の部分って目に見えないから、「わたしはまだまだ自信ない」「ブロックが邪魔してる」などと自ら立ち上がるタイミングを逃しがち、なんですな。

わたしは自分の人生を誰かの教えや見えない力に預けてしまっていました……(30代半ばから40過ぎまで『暗黒時代パートⅡ』と呼んでおります)。

 

そして今……

 

2018年。10年に及ぶ母の遠距離介護が母の死により、終焉を迎えました。

姉の病気は依然としてありますが、自分の姉に対する想い(自分がされて嫌だったこと)、そして姉が自分に対して想うこと。

双方の想いをぶちまけ、本音で対話できる関係にまで成長しました。まだまだ、試行錯誤ですが、お互いに自立して“ほどよい”姉妹関係を築くためチャレンジ中です。

これまでのライフストーリーからもお分かりになるように、ついつい頑張ってしまうクセ、人前でいい人を演じてしまうクセ、父や母の介護問題、姉の病気と姉との関係性……からのスピリチュアル依存・脱出などなど、人一倍さまよってきたことには自信があります(自慢にならないですが!)。

そんな自分だからこそ伝えられることがあるのではないか?

わたしはわたし自身の言葉で、書き続ける所存です。